社会放談記

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安倍元首相の襲撃事件に思うこと

報道の通り、安倍元首相が襲撃され不幸にして命を落とすという大変痛ましい事件が起きた。

まずは心から安倍元首相のご冥福をお祈りすると共に関係者の皆様にはお悔やみを申し上げます。

一部報道では特定の宗教団体が犯人を事件に駆り立てたとの報道がされているようです。

これが事実か否か、また安倍氏とこの宗教団体との関係がどうだったのか。

気になる点ではありますが、一旦置いておくとして、宗教団体と政治というのは結び付きが強いのは事実といえるかと。

最たる例は公明党創価学会

また過去にはオウム真理教真理党として選挙に出馬したケースもありました。

「宗教は幸福の実現の為に存在し、人を傷つける物ではない」という前提条件

だが、ちょっと待ってほしい。

この概念は海外ではほぼ成り立たない。という現実に日本人は気付いていたのだろうか?

宗教戦争ユグノー戦争などは最たる例だが、世界をみれば紛争、戦争の背後関係に宗教が絡んだケースは多々ある。

そしてそこからの反省で生まれたのが政教分離の原則。

ただ、政教分離は政治→宗教の関係をNGとしたもので宗教→政治の関係をNGとしたものではない。

だから前述の公明党などが国政政党として存続でき尚且つ真理党が立候補できた。

様々な事実を踏まえても先述の通り宗教=幸福は成り立たない。

犯人が特定の宗教団体の信者である母親が借金を抱えて云々と供述していることも

これを主張するに十分な理由の一つといえる。

そして真理党のもとであるオウム真理教、彼らが何をしたか

自らの追求する真理のために他人を害することを平気でやってのけた。

地下鉄にサリンを散布し、大勢の無関係の人を巻き込んだ。

これが現実。史実、記録から明らかになっている事実。

これらを踏まえると宗教=幸福が絶対的には成り立たないことが明白だろう。

宗教を含めた幸福追求権を否定するつもりは毛頭ないが日本人がその死角に気付いていないことを改めて感じた事件となったように思う。

宗教を含め意見や立場の違いは生きていく上での宿命だがそれを有形力の行使で主張することは少なくとも現代の日本国においては断じて容認されるものではない。